Twitterユーザーの台湾人 (@Taiwanjin)さんは、おばあちゃんが若かりし頃、友達にノートに書いてもらったという手紙を見せてもらいました。日付は1945年。達筆の文字で書かれた、詩のような美しい別れのメッセージでした。
春だ春…
草木も なびく常夏の蓬莱へ
御旗は はためく 青天の
元気を 失はず 新しき出発よ
気と心で結ぶ 新台湾
では さやうなら
この手紙を見た台湾人さんは、ふとあることに気がつきます。
「お婆ちゃん、これ横書きだね」「横書き?」「ほら、文頭の文字を横に読むと"春草(祖母の名)御元気で"って…」「まぁ…今気付いたわ!」野口さん! 70年とちょっとかかりましたが、しっかり伝わりましたよ! 今も元気です!!(笑) pic.twitter.com/bTgjl8P2Xs
— 台湾人 (@Taiwanjin) August 15, 2016
70年の時を超えて、春草さんに野口さんからの隠しメッセージが届いた瞬間でした。
台湾人さんの祖母、春草さんは、戦時中台湾の高雄海軍工作部で働いていたそうです。工作部は第2次世界大戦終結までに存在していた船の保守点検・修理を行なう施設で、そこの病舎で春草さんは最年少で唯一の台湾人でした。終戦後、日本人の仲間は皆台湾から引き揚げることに。その際に受け取った記念の手紙や写真の数々を、春草さんは命の次に大切なものとして保管していました。
祖母が「私が命の次に大切にしているもの」と見せてくれた写真とノート。昭和20年、終戦の年。寝食を共にしてきた高雄海軍工作部の日本人は全員日本に引き揚げることになった。これはそこで唯一の台湾人女性だった彼女に仲間が遺していった宝たち。 pic.twitter.com/tXxjWWOQzC
— 台湾人 (@Taiwanjin) August 15, 2016
ノートに書いてもらった手紙にはいずれも、春草さんに対する温かい励ましの言葉が綴られていました。
この部署で最年少だった台湾人の祖母に、日本人の仲間たちが別れ際に寄せた文の数々。その何れもが祖母を励まし、気遣い、笑わせ、尊敬の念さえも感じさせる気高いものだった。これは71年前の戦争で私が直接知り得る、紛うことない一つの真実です。 pic.twitter.com/W5hAVcGOtd
— 台湾人 (@Taiwanjin) August 15, 2016
中でも台湾人さんの心を掴んだのは、道源軍医長からの手紙でした。
新しい東亜 それは中国と日本とが本当に握手する事です
貴女も大いに努力して下さい。そして、立派な良い結婚をする事。女の子の道を正しく行く事。
元気で、朗らかに、明るく。苦しみに決して負けぬ様に。
何時も、健康体であることを祈ります。
又 會ふ日迄。サヨナラ。
道源軍医長
春草さんへ
メールとは違い、字で書き残す手紙には不思議と思いが込められるようですね。
春草さんが、皆にとても愛されていたことがよくわかります。終戦直後の混乱の中で、春草さんも仲間からの温かい言葉に力をもらえたことと思います。
素敵なエピソードでした。
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