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【感動逸話】芸人で売れた途端、『今までお前を育てた費用だから』と会う度にお金を催促し続けてきた母。母の死後、その衝撃的な理由を知った武さんが泣き崩れる・・・
2021/12/07

ある日のこと。。。

ビートたけしが芸人で売れるようになった途端、

母が会いに来るたび20万円、

30万円とお金を要求していたという。

「病院代をくれ」  「今までお前を育てた費用だから」  「水道の修理代をくれ」

教育熱心で優しかった頃の母と、

余りにも変わってしまった姿に、たけしさんも

「因業ばばぁめ!」

と悪態をついていたらしい。

子供の頃には

「飯に金をかけるよりも参考書を買う」

と言って、教育費のために生活費を削ることもあったそう。

そんなお母さんのおかげか、

ビートたけしさんの2人の兄も

社会的成功を収めて活躍しています。

ビートたけしさんの2人の兄も社会的成功を収め活躍

長男:会社の取締役

次男:大学教授

ホント、凄い血筋ですよね。。

そんなお母さんが、

お金をたけしさんに乞うようになったのは、

ある理由があったとのこと。

それを、たけしさんはお母さんの死後初めて気づき、

涙が止まらなくなったそうです。

その理由とは・・・?

お姉さんが武さんに渡したのは…1冊の通帳。

通帳の中には、

お母さんの年金から少しずつ出したお金と、

武さんに要求していたお金がそのまま入っていたのです!

1円も手をつけられていないその通帳は

なんと1000万円近くにもなっていたとか。

芸人というのは人気が無ければ

無職同然になってしまう商売。

そんな不安定な仕事をしている武さんのため、

失敗しても大丈夫なようお母さんが貯金してくれていたのです。

自分が嫌われてまでも息子の将来を心配していたお母さん。

「子供の貧乏は親の責任」 「親の貧乏は子に連鎖する。それを断ち切るには教育しかない」

常日頃、武さんのお母さんが言っていた言葉だそうです。

貯金するだけでなく、

将来を考えるという教育の意味も込めて、

お母さんは武さんにお金を要求していたのかもしれません。

素晴らしいお母さんですね。

母は強し!

「親の心子知らず」とは良く言ったものです。

たけしさんの母・北野さきさんは、それから6年後の1999年8月22日、95歳で大往生

通夜で記者の囲み取材を受けたたけしさんは、

はじめは気丈に振る舞ったものの、

途中から涙声になり、

言葉に詰まりながら母への思いを語り始める。

Q.お母さんの95年の一生っていうのは、お子さんにかけた一生でもあったんじゃないかと思うんですけど。

-(たけしさん、絶句する)

Q.私がインタビューしたときに「感謝の気持ちが大事なんですよ。 子供にも、他人にも」ということをおっしゃっていたんですけど。きっと、4人のお子さんに感謝しながら。

-母ちゃんのおかげですね。すごい親だから。

Q.いちばん手をかけられたかもしれませんけど「どんなことをしてでも武を守る」って私におっしゃいましたよ、お母さん。

-怪我のときは「私の命がなくなってもいいからお前を助けてやってくれって言ったんだ!」って言うから、生きているじゃねえか!って言ったらエラい怒られた。

Q.みなさんがね、ここまで世界の北野武になるまで、お母さんがちゃんと見届けていらっしゃったんじゃないかって言っていらっしゃるんですけど。

-俺はまだ足りないことはいっぱいあるしね。芸能界でもまあ、あまりいい噂はないし嫌われ者だから、きょうなんか特にいろいろな人が来てくれて、申し訳なくて、それはおふくろの力だと思いますよ。

Q.お母さんのおかげだっていうことは、お母様に直接伝えられたんですか?

-そのうちあの・・・いい子だな、って言われるようになりますって言って、、、お願いしました。

Q.たけしさん、きのうはね、お母さんのそばにいらっしゃったということですけど、やっぱり黙っていてもいいから、いつまでも元気でいてほしかったでしょう?

-親ですからね。

Q.また叱ってもほしい?

-やっぱり、俺もいい歳だけどやっぱり親がいなくなると、なんかもう、、、気が抜けてね。。。

Q.ご自分がいちばんマザコンだっていうふうにおっしゃっていましたけど、お母さんってやっぱりいいですか?

-うん。やっぱりいい。

Q.どんなことを思い出しますか?

-俺の見ていた母親っていうのは、いつも働いていて、いつも泣いていた親だから、感謝している。。。

Q.お母さんが一生懸命働いて、お子さんたちを一生懸命育てて、その後ろ姿をお子さんたちがみんな見ていらっしゃって。

そこまで話すと、たけしさんは絶句して堪え切れなくなり、大勢の取材陣そしてカメラの前で、膝から崩れ落ちて嗚咽をもらすのだった。。。

Q.お母さんの95年の人生はどんな人生だったって思われますか?

-俺はもう、あれだ・・・あの、よかったと思ってほしいと思っています。。。

Q.いちばん親孝行されたのはたけしさんだってお兄様もおっしゃっていますが?

-そんなことないですよ。うちの兄貴のほうが、本当にいい人だから、兄貴たちがいなきゃ、俺みたいな出来損ないが生きていけなかったし、なんか家族がみんなで俺のことを支えてくれたから。

Q.それはやっぱり、たけしさんがいい方だからなんですよ。

-これからもう、あんまりいい人になったって言われるのもね、恥ずかしいけども。

Q.お母さんに最後にはどんな言葉を贈りたいですか?

-もうちょっと偉くなってみせるってずっと言っています。

Q.お母さんの表情はどんな表情をしていましたか?

-「大げさなことやりやがってバカ野郎」って言っていると思います。

Q.お母さんは安らかですか?小さくなっちゃった?

-小さくなっちゃった。

Q.棺の中にはこれだけは入れて差し上げようと思うものはありますか?

おふくろは死んでも背中に乗っかっているなという感じがするので、やっぱり、もうちょっとがんばって、いい仕事をしようと思っています。

たけしさんのお母様の通夜での様子が映像で残っていますので、ご紹介します。

いかがでしたでしょうか?

強い絆で結ばれた親友の死を

思い返すたけしさんの言葉と、

最愛の母の死を前にしたたけしさんの言葉。

どちらも非常に繊細で、

馳せる思いを汲み取ると感傷的な気持ちになりますね。

引用元:https://m-plus.club/archives/2507,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]